「ヘビー・ボアは現在湿地地帯のどこかに身を隠しているものと推測されます。湿地地帯は広いですから、たとえその体躯を露呈している状態であっても、トレテスタ山脈近辺までいけば人の目に付かない状態でいることも十分に考えられます」 エストの町にあるとある講堂。現在そこにはジルコン・ナイト達と、ルーセリア王ことアルゴース・ランベルカ・ルーセリア、その娘であるルーセリア王女クレセリス・ランベルカ・ルーセリアがいる。 講堂は30人以上の人間が雑魚寝できるくらいの広さがあり、現在説明を行っているジルコン・ナイト以外は全員椅子に座ってその報告を聞いている。 その報告の内容はヘビー・ボア討伐作戦における内容だ。報告は既に9割方終了している。 「しかしながら、湿地地帯が広大なれど、先日と同様の作戦が通用すると考えても良いと思われます」 「その根拠は?」 ジルコン・ナイト達をはるかに上回る筋肉質の体を持つルーセリア王、アルゴースはそう質問した。 「あれほどの巨体ですと木々が邪魔で、トレテスタ山脈を越えることは難しいからと我々は考えています。さらに言うなら、あの巨体ゆえに皮膚の乾燥を防ぐため、湿地地帯の外に出ることはできないことも、その根拠となっております」 「なるほどな……。ご苦労、座るが良い」 「ハッ!」 ジルコン・ナイトの1人が一礼して着席した。 「ところで、何か変わった情報を入手したと耳に挟んだが……」 「そのことでしたら私が」 別のジルコン・ナイトが率先して立ち上がる。 「ヘビー・ボアの撃退成功後、行方不明となっていたアーネスカ・グリネイドという、エルマの騎士からの報告です」 「ほう? エルマの騎士。して、いかなる内容だったのだ?」 「はい、本日戦闘中に足に蛇が絡みつき、地中に引きずり込まれたとのことで、その際に湿地地帯から広大な洞窟に出たとのことです」 「ルーセリアの湿地地帯の地下に洞窟が広がっていると言うことか?」 「その通りです。そして、ヘビー・ボアとは別の大蛇と戦闘し、自力で脱出したとのことなのですが、アーネスカ・グリネイドの報告によると、その洞窟の地底湖にマナジェクトらしきものがおいてあったとのことなのです。さらに、そのマナジェクトらしきものから外への道はあのヘビー・ボアと同じくらい巨大な通路となっており、アーネスカ・グリネイドの推測ではそのマナジェクトこそがヘビー・ボアを生み出した元凶なのではないかと話しておりました」 「その洞窟の調査は?」 「明日、調査団を結成して2日に渡り調査いたします。結果の報告は後ほど出来るかと……」 「わかった。ご苦労。座ってよいぞ」 「ハッ!」 「他、報告はあるか?」 「今回の報告内容はこれにて最後になります」 司会進行を勤めたジルコン・ナイトが答える。 「ふむ。わかった。皆ご苦労であった。洞窟の調査とヘビー・ボアの討伐。以後はそのために尽力してくれ!」 『ハッ!!』 ジルコン・ナイト達は一斉に答えた。 「ん?」 朝。しかし、まだ空は若干暗い。まだ、日が昇りきっていないようだ。 「今……何時?」 下着姿のアーネスカが寝ぼけ眼で言う。いつも愛用している懐中時計のふたを開き、時間を確かめる。 「5時半……いつもより1時間も早い……ふあぁぁぁ……」 2度寝する気も起きず、仕方なく体を起こし伸びをする。 疲れきっているにも関わらず、妙に早く目が覚めてしまう。そんなことは別段珍しいことではない。 「確かこの宿って……」 自分達が泊まっている宿について思考する。そしてあることを思いつき、アーネスカは私服に着替え部屋を出た。 夕方とは違う独特の赤みを帯びた日の光をボーっと見つめながらアーネスカは誰もいない木造の風呂桶に体を目一杯伸ばしていた。 アーネスカ達が泊まっている宿はいわゆる露天風呂で、24時間いつでも入れるのだ。アーネスカは朝風呂に入りに来たのだ。 誰もいないからどんな格好で入ったって恥をかくこともない。だからアーネスカは体を思いっきり広げてお湯にその身を委ねていた。 彼女が今考えていることは自分の家族のことだった。 優しかった母も、母と仲が良かった父も今はいない。 彼女が10歳のとき、亜人に殺されたからだ。残されたのは2人の姉と、数名の付き人だった。 グリネイド家の姉2人には専属で彼女達を支える付き人が1人ずつ存在していた。もちろんアーネスカにも。 しかし、アーネスカはそれを拒んだ。 理由は弱い自分から脱却したかったから。そして、亜人を殺す力を得るために弱い自分を捨てなければという思いからだ。 13歳の頃に家出同然に家を出て、1人で生きてきた。それ以来アーネスカは家族とも付き人とも連絡を取らなかった。 つまり彼女は1人だった。 「アルト姉さん……アマロ姉さん……今元気かなぁ?」 彼女の2人の姉。長女をアルトネール・グリネイド、次女をアマロリット・グリネイドという。13の頃に家を飛び出して以来会ってないのだから今顔をあわせてもお互いに分からないかもしれない。 ――昔のことを思い出してナーバスになるなんて……あたしらしくないわね……。 アーネスカは考えていることを切り替えることにした。 それは昨日、ヘビー・ボア討伐作戦のことだった。 「零児がいなければ……あたしは死んでた……」 それは自虐でもなんでもない、ただの事実だ。アーネスカは本気でそう思う。 『仲間達に自分の弱点も知らせず、いざと言うときになって足を引っ張ってこういう状況になったんだから、お前にも十分責任があるだろう!』 「あいつの言うとおりなのよねぇ……」 洞窟の中で零児はアーネスカと喧嘩することより、供に協力して脱出することを最優先に考えた。その姿勢は正しい。しかしあのときのアーネスカはそれを拒もうとしていた。 相手が男だから? 自分が弱いことを認めたくなかったから? 自分1人であの状況を切り抜けられると信じていたから? どれも正しいような気がする。しかし間違っている気もする。 ――あたしは……なんであいつに反発してたんだっけ? そして気がつけば仲直りしていた。 鉄零児。 初めて会ったときは本気でチンチクリンだと思った。 しかし、今は違う。頼もしさすら感じる。 ――もし……火乃木よりあたしの方が早く出会っていたら……あたし……。……!! そこまで考えて、自分がとんでもないことを考えていることに気がついた。 バシャンと音を立てて体を縦にし、自らの頬を両手で触れる。 ――な、なに考えてんのあたしは!? まるであたしが……あたしが……アイツを……! 「アイツを……何?」 そのときだった。アーネスカの背後から聞き覚えのある声が聞こえた。 「うわッ!?」 突然の声にアーネスカは思わずあとずさる。 「おはよう。アーネスカ」 「ネ、ネル?」 声の正体はネレスだった。ネレスは適当に湯船に入る。その瞳はどこかいたずら心に満ちていた。 「で? まるであたしが……アイツを……なんだって?」 「な、な、な、なんの話よなんの……」 アーネスカは狼狽する。自分が心の中で考えていたことのはずなのに何故ネレスにその考えが読めるのか。 「途中から声、出てたよ」 「うっそマジ!?」 「マジで」 「う〜わ〜……」 ――心で思ってることが口に出るって一体何!? あたしってそんな単純だったっけ? 自問自答するがその答えは出ない。ひょっとしたら自分は何か変な病に陥っているのかもしれない。 「アーネスカ?」 「なんでもない! なんでもないったらなんでもない!」 「あ、っそう」 全身を湯船に浸し、ネレスは大きく息を吐いた。 「いい気持ちだね〜」 心底気持ちよさそうに言いながら、ネレスは大きく伸びをした。 その体には無駄な筋肉が一切ついておらず、引き締まった肢体が朝の日差しを浴びて存分に自己主張している。 いつもアーネスカは思う。この差は一体なんだろう? と。 スレンダーと言う意味ではアーネスカも十分素晴らしいプロポーションをもつのだが、自分の胸のなさにコンプレックスを持つアーネスカにしてみれば、ネレスのプロポーションは高い身長と胸の大きさと相まって自分とは別次元のレベルに到達しているようにすら思える。 この差はやはり胸の大きさに正比例しているのではとアーネスカは考える。 ネレス本人は格闘技には邪魔と言っていた。しかし、女である以上セックスアピールに繋がる胸という存在はやはりある程度の大きさが必要だと思う。 「はぁ……」 などと色々考えているうちにアーネスカはため息をついた。 「どうしたの? アーネスカ?」 「別に……あんたの2つの隕石が羨ましいなぁって思っただけよ」 「隕石って酷いなぁ……」 ネレスが愚痴を零したそのとき。 「あ〜〜!!」 また第三者の声が聞こえた。 「ネルさんにアーネスカ! なんでこんなに早くにお風呂入ってるの!?」 声の主は火乃木だった。 「ちょっと早く目が覚めちゃったからさ。それで入ろうかとね……」 「そうそう! 結構気持ちいいんだよ〜。ここ!」 「う〜……一番風呂……狙ってたのにな〜。まあいいや! ボクも行くね!」 言って火乃木は大慌てで自分の服を脱ぎ捨てる。 そして、全力疾走で風呂桶に飛び込んだ。 「うおおおおおおお!!」 激しく水が飛び散り、ネレスとアーネスカの顔面を直撃する。 「ぶはっ!」 「火乃木……飛び込むのはやめなさい」 「え?」 「まあ、いいんじゃない? 入ってるのは私達だけなんだしさ」 「それもそうね」 「えへへへ……」 ぽりぽりと頭を掻きながら火乃木は笑う。 ――割とこの娘もあるのよね〜……胸。 アーネスカはジーッっと火乃木の胸を見る。 「な、なに?」 視線に気がついて火乃木は不安げな目でアーネスカを見る。 「はぁ……やっぱりあたしの胸……ない方なのかな……」 「あ、アーネスカ?」 アーネスカの小声は、火乃木の耳には届いていなかった。 「ところでさ、みんな今日はどう過ごすつもり?」 女同士で適当にしゃべっている最中、アーネスカが突然そんなことを聞いてきた。 「ん〜私は何も予定ないな〜。アーネスカは決まってるの?」 「全然。本当は今日だって寝て過ごそうと思ってたしさ」 「寝てばっかりだと太るよぉ? アーネスカ」 「零児も同じこと言ってたわ。そういう火乃木は?」 「ボクも特に決まってないなぁ。とりあえず、魔術の勉強でもしようかな? 大蛇の討伐作戦は2日後だから、時間あるしね」 「へ〜。あんたって結構努力家なんだ」 「そういわれると照れるけど、実際は中々魔術の腕が上がらないから、頑張っても無駄なのかな〜とか思うこともあるよ」 「魔術を極める道は、1日にして成らず。時間をかけて研鑽《けんさん》すれば、いつの間にか強くなっているわよ」 「そうだといいな……」 「でもあたしはあんたに関しては、魔術のこと以上に気になることがあるんだけど……」 「え?」 火乃木はどういう意味? という感情を表情で示した。 「あんたさ、零児が好きなのよね?」 「う、うん」 面と向かって聞かれ、何故そんなことを聞かれなくてはならないのかを考えながら火乃木は答える。 「だったらさ。なんであんなに地味な服装してるの?」 「じ、地味?」 ――自覚ないのかこの娘は……。 火乃木の服装は普段は黄土色のシャツに緑色のロングスカートと言う格好だ。正直16歳の若い娘が着るにしてはババ臭い。アーネスカはそう思っていた。 「男を落としたいって思うんなら、なんでもっと女の子らしい格好しないのよ!」 「え? でも、スカートはいてるからから女の子らしくはあると思うんだけど……」 明らかに火乃木は戸惑っている。その様子を見て、アーネスカは思う。 火乃木のファッションセンスは皆無だと。 でもまあ、火乃木の性格を考えればそれも仕方ないのかもしれない。見た目からはあまり想像できないが、火乃木は割と活動的な性格をしている。見知らぬ人間相手だと人見知りがいきなり激しくなるのが欠点ではあるが、それ以外はわりと活動的な部分が見え隠れしているのだ。 が、それ以外には正直あまり関心がなさそうだった。それが最大の問題なのだとアーネスカは思う。 「決めた! あんたには、今日男を落とすための服を買ってあげる! 今のあんたじゃ、零児どころか、他の男さえ落とせないからね!」 「うえええええ!?」 あまりにも突然すぎるアーネスカの提案。火乃木が驚くのも当然の反応だ。 「で、で、で、でもボク、女の子らしい服選んだことない!」 「だから、あたしが一緒に行ってあげるのよ! それとも、服装のことを何も考えずにアプローチして失敗して、シャロンに零児を取られちゃってもいいの!?」 「それは……やだ!」 そういう火乃木の瞳には決意の炎が燃えていた。 ――切り替えはや! そう思ったものの、せっかくやる気を出しているのに水を差すのも無粋と思い、直接口には出さないようにする。 「決まりね! 今日は、火乃木の大改造計画に決定!」 「よ〜し! 頑張るぞおー!!」 アーネスカの勢いに負けたのか、火乃木もノリノリでアーネスカの提案を受け入れやる気満々になっていた。 「2人とも元気だね〜」 そんな2人の様子をネレスは楽しそうに見つめていた。 日の光の下、朝早くから賑わうエストの町の商店街。そこを歩く2人の女達がいる。 火乃木とアーネスカだった。2人はエストの町を歩いて回っていた。 「あ、ここここ」 宿を出て10分ほど歩いた頃に、アーネスカが立ち止まった。そこには女の子の服をそろえている専門の店が立っていた。 どう見ても男が立ち入る雰囲気ではない。 「こういう店、入ったことない?」 「うん。1度も入ったことない」 「そう、大丈夫よ火乃木! あたしがあんたを一人前の女にしてあげる!」 「よ、よろしくお願いします!」 アーネスカの勢いに負け、思わず火乃木はそう答えてしまう。 2人はその洋服店へと足を踏み入れた。 中にはこれでもかと言わんばかりに女物の服が目白押しだった。 「相変わらず、いい商品置いてあるわね〜」 口ぶりからするとアーネスカはここの常連のようだ。 「お?」 アーネスカは早速何かしら商品を見つけ、火乃木を引っ張っていく。 「ほら、これなんかどう? あんたには似合うと思うんだけど……」 アーネスカの勢いは凄まじい。火乃木はアーネスカのパワフルな行動力に驚きを隠せない。 「う、う〜ん……ボクには派手すぎる気がする……」 アーネスカが火乃木に見せたのはフリルのついたスカートだった。火乃木がはいている簡素なスカートよりは確かに女の子らしさを感じる。 「じゃあ、あんただったら何がいいのよ?」 「えっと……」 火乃木は適当に服を選びそれをアーネスカに見せる。 「こ、こんなのかな?」 それは長袖のズボンといくつかのシャツだった。どちらも女性のスタイルを際立たせ、体のラインを見せることに特化したものだ。 「あんたの場合、それじゃあ効果が薄いから却下!」 「え〜?」 「選ぶならミニスカにしなさい! 太ももが思いっきり見えるような奴!」 「そ、そんなの無理ィ! ボクにスカートは無理だよぉ〜!」 「いいから選ぶのよ! それとも零児が他の女に取られてもいいのぉ!?」 「それは嫌だけど、それとスカートは……」 どうやら火乃木にとって波乱の1日になりそうだった。 「ふ〜! あ〜疲れた!」 「ボクもヘロヘロだよ……」 火乃木とアーネスカは適当にベンチに座り体を休めることにした。 あの店で2人は激しく衝突させた。アーネスカが選ぶ服はどれも火乃木には派手すぎて、火乃木はそのたびに拒否したのだが、伝家の宝刀、零児を取られるかもしれない、と言う一言によって、どうしても拒否しきれず、結局3着も服を買ってしまった。 そのうち2着は同じ服で、もう1つは火乃木の意見を尊重した1着だった。 「あんたって、結構頑固なところあるのね〜」 「アーネスカがあんな服ばっかり選ぶからだよ〜!」 ぷくーっと頬を膨らませる。アーネスカはその顔を見てふぐかなんかかと思った。 「やめたほうが良かったって思う?」 「え?」 「やっぱり付き合うんじゃなかったって思った?」 アーネスカの問いに火乃木は少しだけ考えてから答える。 その表情は晴れやかだった。 「ううん……そんなことないよ。むしろ、アーネスカがボクのことちゃんと考えてくれてるって分かったから嬉しかったよ」 「そう、それは良かったわ」 2人とも話すのをやめ、しばし空を眺める。雲ひとつない。この天気はどれくらい続くのだろう。 「それにしても、ボクにこんな服着こなせるかな〜」 火乃木は袋の中に入っている服を1着見つめる。白を基調とした服だ。 「あんたなら大丈夫だって。太ってるわけでもないし、スタイルはそこそこいいんだからさ!」 「そうかな?」 「そうよ! 言っとくけど、今後はその服を普段着にするのよ!」 「ちょ、ちょっとそれは考えさせてくれないかな?」 「だめ」 「う〜ダメですか」 苦笑いを浮かべる火乃木。その反応からしてやっぱり火乃木にとっては恥ずかしい服なのだろう。 「まぁまぁ! まずは零児にその服装見せてみなって! 絶対ほめてくれるわよ!」 「そ、そうかな?」 「そうよ! 普段のあんたとは一際違った服を見せれば、零児だってあんたのこときっと好きになるって!」 「……ありがとう、アーネスカ……がんばるね!」 「うん!」 アーネスカはアーネスカなりに、火乃木のことを気遣っている。それが分かるからこそ、火乃木はアーネスカの行為を無碍《むげ》に出来ないし、感謝もしている。 それはどんなときだってきっと変わらないものなんだと思う。 「さて、じゃあ、次のお店行くわよ!」 「え〜まだ買うの〜!?」 前言撤回。アーネスカは自分の買い物に火乃木を付き合わせたいだけなのかもしれない。 火乃木は心の中でそんなことを思った。 |
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